学校の勉強の意味
中学校や高校で授業の時間が足りないという話を聞いて、「優先度の低い教科を削ればいいんじゃない? 古文とか、好きな人だけ勝手にやればいいし。」といったら、ものすごく反論を食らった。
いわく、
- 学校できっかけを与えないと、興味を持ちようがない。誰もその道に進まなくなってしまう。
- 古文だけじゃなくて、たとえば化学だって、全く自分の役に立ってない。
- でも、学校で化学を教えるおかげで、その道に進む人が出てくるのだ。
- そういう人が化学を活かして仕事をして、世の中を良くしているのだ。
- だから、自分の役には立ってないけど、化学を勉強させられたことには納得している。
とのことだ。
正直言って、賛成はできない。一部の人に「きっかけを与える」ために、その他全員が毎週何時間も無用な勉強を強制されるとしたら、それはバカげてると思う。化学が自分の役に立ってないというのも、何か誤解していると思う。
しかし、自分には思いつかなかった考え方なので、目からウロコだった。学校で古文を知り、興味を持ち、古文を活かして仕事をしている人が居るはずだ。そして、世の中を良くしてくれているんだろう。