Justice再読: 第5章 What Matters Is The Motive/ Immanuel Kant

Justice: What's the Right Thing to Do?をメモを取りながら再読中。導入部の第1章功利主義第2章リバタリアニズム第3章、志願vs徴兵の第4章前半代理母出産の是非の第4章後半の続き。

第5章 What Matters Is The Motive/ Immanuel Kantのまとめ

前置き

道徳や正義のよりどころを求める思想は、大別して3つ。

  • 幸福の追求。典型的には功利主義
  • 自由の追求。典型的にはリバタリアン
  • 美徳の追求。本書ではまだ出てきていない。

Immanuel Kant(1724-1804)は、リバタリアンとは違う形で2番目を強力に支持した。

カントの思想

根本的な原則は、個々の人間を理性的で尊厳のある存在として扱うこと。そのために大事なのは自由である。しかしながら、ここでいう自由は、通常言うところの自由とはかなり異なる
普通は、自分の好きなように行動できることを自由という。おなかが減ったらご飯を食べる自由。眠いときは寝る自由。楽しみたいと思ったら、遊ぶ自由。しかし、それらは本当の自由ではない。
欲求に従うのは当たり前で、悪いことではない。しかしながら、それは欲求という自然現象に従っているにすぎない。すなわち、自然法則の奴隷ということだ。真の自由とは、そのような外部環境とは無関係な、純粋なる理由に基づく法に従って行動することだ。
では、どういう法が純粋なのか。それは、定言命法(Categorical Imperative)に基づく法である。

定言命法とは

おおまかに、以下3点を満たす行動原理。

  • (1) 他の理由を必要としないこと。「XだからYをすべし」であってはいけない。「X自体が良いことだからXをすべし」でなければならない。
  • (2) 環境に左右されず、一般化できること。「全員がそれをやったらどうなるか?」と考えた場合に破綻する行動はだめだ。なぜなら、それは他人を道具として自分だけが得をしようとする行動であり、それは人間の尊厳を尊重していないからだ。
  • (3) 個々の人間を理性的で尊厳のある存在として扱い、決して単なる道具として使わないこと。

このように考えれば、誰もが同じ法にたどり着くはずだ。なぜなら、環境に左右されない普遍的な法は一意に決まるはずだからだ。

例題

定言命法に従った場合、の例題。

  • 自殺禁止。自殺というのは、例えば「苦しいから死にたい」といった「欲求」のために、自分自身をa道具として使っている(捨てている)。これは、殺人と同じくらい罪深いことだ。
  • 例えば、人助けをするとしよう。「人を助けるのが自分の喜びだから」だとしたら、定言命法的には正しい行いではない。「人を助けること自体が良いことだから」ならOK。動機が大事。
  • 婚外交渉禁止。人の体を、性欲を満たすために道具として使っている。
  • 何があっても嘘つくの禁止。たとえば、殺人鬼に追われている友達を家にかくまっているとする。殺人鬼に「お前の友達はどこだ?」と聞かれても、「この家には居ないよ」と嘘ついちゃだめ。みんながそんな嘘をついたらどうなるか。殺人鬼たちは、誰も信用しなくなってしまうだろう。
  • 嘘はだめだけど、「まぎらわしい本当」を言って相手を誤解させるのはOK。みんながやっても大丈夫。
  • クリントン元大統領の例もあるよ。「まぎらわしい本当」は、嘘よりはマシなんだ。
    • クリントン「モニカ・ルインスキーと性的な関係は持ってないよ。」
    • (後日追求される)
    • クリントンの弁護士「口でやったらしいので、辞書的には性的な関係とは言えません。嘘はついてません。」

感想

NHKハーバード白熱教室で、この章に相当する回を見たときも理解できなかった。本を1周目読んだときも理解できなかった。そして、再読してもやっぱり理解できなかった。
まず、すごく面白い考え方だとは思ったし、読んでいて楽しかった。従来の自由、すなわち欲求に従うことは、本当は自由でもなんでもない。純粋なる理由に基づく行動こそが真の自由。これは目からウロコだった。従来の自由を自由1.0とすると、カントの自由は自由2.0という感じ。
しかし、理解できないのは自由2.0の何が良いのかだ。どちらか選べと言われたら、1000人中999人までが自由1.0を選ぶと思うのだが。
さらに追い討ちをかけるのが、例題のひどさ。同じ人を助けるにも、動機によって良し悪しが変わるそうだ。頼むから、なんでもいいから助けてくれ、と思う。人の体を道具として使っているから婚外交渉禁止。なぜ性だけを特別扱いする?性なんか関係なくても、会社で働いている普通のサラリーマン(自分)だって、普通に道具として使われていると思うし、それでも個人としての尊厳はあるつもりだ。殺人鬼が来たら嘘でもなんでもつこうよ。クリントン元大統領の例など、もはや単なるギャグとしか思えない(面白いけど)。
良さは理解できなかったけど、とりあえず面白かったからいいや、ということで次のJohn Rawlsに進む。