Justice再読: 第7章 Arguing Affirmative Action

Justice: What's the Right Thing to Do?をメモを取りながら再読中。

第7章 Arguing Affirmative Action まとめ

例題: Affimative Action

テキサス州では、アフリカ系とメキシコ系の住民が人口の40%を占めている。彼らは、貧困のために、平均して白人より学力が低い。
これをうけて、州で一番のlaw schoolであるUniversity of Texas Law Schoolでは、民族ごとに一定の合格枠を設けている。純粋に入学試験の成績だけで合格者を決めてしまうと、学生が白人に偏ってしまうからだ。こういう制度を、Affirmative Actionという。白人以外の民族は多少成績が悪くても入学できることになり、恩恵をこうむる。
しかし逆に言えば、そのぶん成績の良い白人が入学できないということだ。これにより、納得のいかない白人が訴訟を起こすこともある。
はたしてAffirmative Actionは正しい制度といえるか?

Affirmative Action支持派の意見

Affirmative Actionを正しいとする論拠は、概略以下の3点。

  • 成績の補正(trivialなので割愛)
  • 過去の償い
  • 多様性の確保

「過去の償いのために必要である」という意見

例えば、アフリカ系アメリカ人のルーツは、過去に奴隷として強制的に連れてこられたことだ。その経緯もあり、今なお彼らは貧困であり、そのぶん受験において不利だ。奴隷制度という過去の過ちを考慮すれば、彼らを優遇するべきだ。

  • 反論1 不利を補うのが目的なら、民族じゃなくて階層によるべきだ。金持ちの黒人を優遇する必要はないし、貧乏な白人は優遇すべきだ。
  • 反論2 過去の償いが目的なら、なぜ現在の人が償うのだ。奴隷をつれてきた張本人達は、今はもう生きていないはずだ。現代の我々は、過去の世代の償いをする必要があるのか?→ この話題は後の章で出てくるので、いまはここまで。

「多様性の確保のために必要である」という意見

白人だけの学校より、様々な民族が在籍する学校のほうが、より学校のミッションに適っている。まず一般論としては、互いに影響しあうために教育効果がたかい。さらに、今回例に挙がっているUniversity of Texas Law Schoolなどは、法律のプロを育成する学校だ。法律のプロが白人ばかりでは、移民が多いテキサス州の面倒をみることができるはずもない。

  • 反論3 弊害が大きい。例えば、民族ごとに枠を設けることで、より偏見を助長する危険がある。→ これは、正義かどうか、という話ではない。純粋に有効性についての反論なので、ここではこれ以上扱わない。
  • 反論4 「成績が良いのに落ちた白人」には、何の落ち度もない。好成績の者は入学する権利があるはずなのに、権利が侵害されているのではないか?

反論4への反論

本当に個人の権利が侵害されているとすれば、リバタリアンや、カントやロールズの考え方にはそぐわないだろう。しかし、そもそもそんな「権利」はないのだ。好成績の者が入学する権利がある、というのが幻想だ。学校はそのミッションにかなった生徒を合格させる。決め手になるのおは、試験の成績だったり、スポーツだったり、人種だったりする、というだけだ。

反論4への反論の反論

組織のミッションに合っていればいいというなら、次のやつはどうだ。

  • 今回問題になっている、University of Texas Law Schoolは、昔は黒人の入学を禁じていた。彼らが「黒人の教育はミッションに含まれない」といったら納得したか?
  • 昔のアメリカでは、黒人は入れないレストランが存在した。オーナーが、黒人に飯を食わせるのはミッションに合わないといったら納得するのか?

反論4への反論の反論の反論

そういう黒人差別は、人種に優劣があるという偏見に基づいているだろう。現在のAffirmative Actionは、そういう偏見とは無関係だ。たしかに、成績良好な白人が落ちることはある。しかし、それは白人が劣っているからだ、なんて誰も言ってないだろ?
彼が入学に値しない(not deserved)のではない。たんに入学する権利を得られなかった(not entitled)だけだ。

問題提起:正義は美徳から切り離して考えられるか?

何かに値する(deserved)美徳を備えていることと、実際に何かを得る権利を持つ(entitled)ことは別であり、切り離して考えるべきだ、というのは確かに魅力的な考え方だ。その考え方ならば、「美徳とは何か?」という答えが無い議論を避けることができる。
しかし、正義を、美徳や名誉といった概念から完全に切り離すのは難しいと思われる。例えば、大金を積めば入学できる、という制度を考えてみてくれ。別に人種の偏見と関係ないが、納得できないだろ?
Affirmative Actionについて考えるには、そもそも学校はなんのためにあるのか、ということを考えなければならないし、それを考えるためには美徳や名誉という観点を抜きにするわけにはいかないのだ。

感想

面白い例題だった。これひとつに色々な観点が詰め込まれている。
ただ、この章にあがっている範囲では、名誉とか美徳とか持ちだす必要はまったくないと思う。入学の権利を金で売ることは確かに正しくないとは思うけど、それは別に美徳と関係ない。バカでも金を払えば入れる学校など、授業に支障を来たすなど様々な弊害が出るはずで、功利主義的にもだめだろう。また、そんな学校は就職に不利であり淘汰されるから、市場で生き残れない。すなわちリバタリアン的にも無理な気がする。ロールズの無知のベールを考えたとしても、「金を払えば入れる学校」なんて合意できるか?
「美徳」の話につなげるために、いろいろ無理な議論をしている気がした。