Justice再読: 第9章 What Do We Owe One Another?/Dilemmas Of Loyalty

Justice: What's the Right Thing to Do?をメモを取りながら再読中。

再読が終わる前に、サンデル教授が来日して、テレビ番組の「日本で正義の話をしよう」も放送されてしまった。ビデオ撮ってあるけど、悔しいから読み終るまでは見ない。

第9章 What Do We Owe One Another?/Dilemmas Of Loyalty まとめ

問題提起

従軍慰安婦問題。日本は第2次大戦中に、何万人もの韓国他の女性を強制的に日本兵のsex slavesにした。国際的に謝罪を要求されているが、謝らない。奴隷制度。アメリカはかつてアフリカ人を奴隷としていた。州によっては公式に謝罪をしたところもあるが、賠償となると白人の賛成者少ない。
謝罪すべきでないという考え方の根拠として、自分が関わってないことについて謝れない、という思想がある。現在生きているアメリカ人は、誰も奴隷を所有したことはない。いままで見てきた思想、特にリバタリアンロールズなどは、合意を重視する。となれば、本人が合意をしたはずもない過去の行いに縛られる必要はないと考える。
しかし、そういう考え方には問題があるとして、アンチテーゼとして出てきた思想が、コミュニタリアニズム

コミュニタリアニズム

必ずしも自分が選んだわけでなくても、人はなんらかのコミュニティに属している。このため、たとえ本人が合意していなくても、コミュニティの一員としての義務を負うはずだ、という考え方。
代表的な論者のAlasdair MacIntyreが、著書の中で次のように述べている。人は物語の中を生きているのであり、その物語の中でどういう役割を持っているのかを考慮して、はじめて正しい行いとは何かを決めることができる。

例題

コミュニタリアニズム的な考え方でないと、例えば以下に示すような行動について、説明しにくい。

  • 知らない子と自分の子、どちらか一人しか守れないとしたら、普通は自分の子を守る。他人より家族が大事だから。
  • 年老いた親を見捨てたら非難されるが、赤の他人の老人の面倒を見なくても特に非難されない。やはり、他人より家族が大事だから。
  • フランスのレジスタンスのエピソード。あるパイロットは、作戦上必要な爆撃ミッションを拒んだ。爆撃先が、敵に占領されていたとはいえ、自分の故郷だったから。
  • エチオピアの飢饉のとき、ユダヤ人はエチオピアにいた同朋をたすけた。普通のエチオピアまでは手が回らなかったが、それは仕方ない。同胞が大事だ。
  • 外国人のためになる政策よりは、自国人のためになる政策が支持される。
  • 自分の国の製品を買おう、という運動。Buy American!!
  • 旅先で、同国人が恥ずかしいことをしていたら、自分まで恥ずかしくなる。知りあいでも何でもないのに。
  • 自分が全く関与してなくても、アメリカ人はベトナム戦争のことを「恥じる」ことができる。例えば、スウェーデン人にはそれはムリだ。

etc.

アドバンストな例題

リバタリアンですら、基本的には上で出たような行動を否定はしないだろう。他人の迷惑にならない限り、好きにすればいい。知らない子を踏みつけて進まないかぎり、自分の子を優先して助けてかまわない。
しかし、コミュニタリアンの考え方はさらに一歩踏み込む。他人の迷惑になってでも、コミュニティの一員としての義務を優先させる場合もある、という考え方。

  • 南北戦争で、北軍の思想が正しいと信じているにも関わらず、南軍についた将官が居た。故郷が南だったから。
  • 州知事の弟は凶悪犯罪者。州知事は、それが民衆の利益にならないとわかっていても、弟の居場所を明かすことを拒んだ。兄弟だったから。

感想

1回目と違ってゆっくり読んだせいか、比較的よく納得できた。コミュニティに属する以上、自分の意思で属したわけじゃなくても、なんらかの義務を負うことはあると思うし、それは正しいことであると思われる。
ただ、1回目同様に理解できなかった点がある。この本における正義って、結局は「どういう法律を定めるのが良いか」っていう事だと思ってた。それが合っているとしたら、コミュニタリアンが推奨する法律ってどんな感じなんだろう。「親の面倒を見るべし」とかいう法を作るんだろうか。言われなくても自分の親を優先するけど、そういうのって法律や政治で決めることじゃないと思うんだが。
とりあえず主旨はつかんだつもりになれた。次は最終章。