Justice再読: 第6章 The Case For Equality/ John Rawls

Justice: What's the Right Thing to Do?をメモを取りながら再読中。導入部の第1章功利主義第2章リバタリアニズム第3章、志願vs徴兵の第4章前半代理母出産の是非の第4章後半、カントの第5章の続き。

第6章 The Case For Equality/ John Rawlsのまとめ

前置き

John Rawls(1921-2002)の思想。
正義となにか。それを決めるために大事なのは、みながそれに合意できること。ただし、フェアな合意でなくてはならない。無知ゆえに騙されて合意したり、脅されて合意するのは、フェアではない。そもそも、立場が違えばそもそも合意などできない。例えば、金持ちは金持ち優遇の法を支持するだろうが、貧乏人は合意しないだろう。では、みながフェアに合意できるはずの法とはなにか。それは「無知のヴェール」という状況を仮定すれば見えてくる。

無知のヴェール

仮に「無知のヴェール」というアイテムがあるとする。これを装着した人は、自分がどんな立場にいるか全くわからなくなる。例えば、

  • 経済状況が不明。自分はビルゲイツかもしれないし、ホームレスかもしれない。
  • 宗教が不明。自分はキリスト教徒かもしれないし、無神論者かもしれない。
  • 能力が不明。自分はマイケルジョーダンかもしれないし、運動音痴かもしれない。
  • 信条も不明。その他もろもろ不明。

そして、みんなを集めて無知のヴェールを装着させ、その上で議論する。ここで合意した法こそがフェアである。
もちろん「無知のヴェール」などは実在しないから、実際にはそのような合意はできないのだが、仮定の状況として考えることは可能なはずだ。

功利主義とかリバタリアニズムは?

無知のヴェール装着時には、功利主義は却下されるだろう。功利主義においては、多数の利益のために少数が犠牲になる恐れがある。自分が少数派であるリスクを考えたら、功利主義を支持できないはずだ。
富の再配分を否定するリバタリアニズムも却下されるだろう。自分がビルゲイツのような金持ちである可能性よりも、ホームレスである可能性のほうが高い。

どんな法なら合意できるのか

原則として自由と平等を求めるだろう。自分が迫害されたり、差別を受けたりすることは避けるはずだ。
ただし平等といっても、能力のある人の足を引っ張っても誰得だ。有能な人には存分に能力を発揮してもらい、社会に貢献させたほうがいい。その結果、富の再配分などで下層階級の生活も向上するのであれば、有能な人が多額の報酬を貰ってもいい。
つまり、下層階級の生活向上に貢献するためであれば、格差があってもいいということだ(格差原理、defference principle)。
さらに言えば、有能な人が多額の報酬を得られるのは、その美徳が報酬に値する(deserved)からではない。単に、下層階級の生活向上のために、便宜上の権利を得ている(entitled)からにすぎない。

例題 テレビタレント

平均的なアメリカの学校教師の年収は$43,000。これにたいし、テレビのトークショーで有名なタレントDavid Lettermanの年収は、$31,000,000。この格差は正義か?
格差原理的に言うならば、富の再配分が制度化されており、David Lettermanが払った税金が下層階級の生活向上に十分に役立っているようであれば、正義である。

反論 インセンティブ

有能な人が報酬を得るのは、その人の美徳のためではないという。そのような考え方では、能力を磨くためのインセンティブがないのでは?
(回答)下層階級の生活向上のためではあるが、有能な人は富を得る権利はある。従って、インセンティブはある。
(補足)「美徳の有無」と「収入の多寡」は必ずしも一致しないことになるが、それは別にかまわない、という思想だ。「美徳を持つものが富を得るべき」という思想とは相容れない。これについては後の章で議論される。

感想

この本で紹介されていた思想の中では、もっとも素晴らしい思想だったように思える。無知のヴェール。仮にそんなアイテムがあったとしても、実際には議論が紛糾して合意なんか取れないとは思うけど、それでも言わんとすることはわかる。なるべく自分の立場とは独立して法を定めろ、ということだろう。
また、功利主義リバタリアニズムを否定はしているけど、同じ功利主義でも第2章のJohn Stuart Millのように個人の権利を尊重するタイプとは矛盾しないと思うし、リバタリアニズムでも負の所得税を提唱している人たちなどとは矛盾しないと思う。
有能な人は能力を発揮でき、報酬を得ることもでき、かつ下層階級の幸福も実現するという、非常に優れた思想であると思える。
それに「美徳と収入が一致しない」という反論は意味不明だった。「下層階級の生活向上に役立つ」というのは最強の美徳に思える。そういう人たちが多額の報酬を得るのだから、これほど美徳が報われるシステムはないと思うのだが。おそらく、美徳の定義はそういうことじゃない、ということなんだろうが。美徳うんぬんに関しては後の章に書いてあった気がするから、このまま続きを読んでいけばわかると思う。