尖閣諸島の中国側の主張にも理がある気が。
2年前に少し調べた時にもモヤモヤしてたけど、尖閣諸島に関する日中双方の主張について、改めて知りたくなった(知ってどうするという事もないけど・・・)。
日本の主張は外務省のやつがあって、これはものすごく説得力があるように思える。
中国の外交部にも同じようなのが無いのか探してみようと思ったら、最近の日付で次のやつを見つけた。
Diaoyu Islands cannot be bought
英語版しか見つからなかった。日本の外務省は中国語版用意してるんだから、中国も日本語版を用意した方が良いと思うんだけどな。その方が日本人にアピールするぞ。でもがんばって読んでみたので、内容をまとめてみた。
でもなんか疲れてきて、尖閣諸島が中国の領地な気がしてきた。2-4)とかやばいんじゃないのかね。
1. Diaoyu Islandsは古代から中国に受け継がれる領土である
Diaoyu Islandsが無主の地ではなかった事は明白であり、日本が主張する先占の法理による領有は歴史の嘘だ。
なぜなら、遅くとも1400年代初頭から、Diaoyu Islandsは発見され、台湾の一部として管理されていたし、日本を含む諸外国は、これを理解していた。根拠は以下1)2)3)。
1-1) Diaoyu Islandsを最初に発見、命名、開拓したのは中国人
Diaoyu islandsが中国の一部だという理解が、中国と琉球で一致していた。根拠は以下。
- 1403年の本"Voyage with a Tail Wind (Shun Feng Xiang Song)"には、福建から琉球に行くルートとして、"Diaoyu Islet"や"Chikan Islet"という名前が出てくる。
- 明と清は琉球王国に24回使節を送っており、大量に残っている関連記録が、中国と琉球の境界がChiwei Isletの東であることを示している。
- 1534年の使節の記録によると、「Diaoyu Isletその他を越えて、久米島が見えてきた。ここからが琉球だ。船に乗っている琉球人達も、ついに琉球に帰ってきたと喜んでいる」とある。つまり、琉球人もDiaoyu islandsが中国だと思っていたということだ。
- 1719年の使節の記録によると、八重山諸島が琉球の南西の境界だとか、久米島が南西の防衛拠点?(fortified post)だとか書いてある。琉球の学者も同じように記録している。
1-2) Diaoyu Islandsは何世紀もの間、中国が管理していた
- 14世紀初頭に、中国の沿岸警備軍?(coastal defense)が、日本の海賊を琉球海溝に追い払ったという記録がある。
- 1561年の地図や、1605年の地図でも、Diaoyu Islandsが中国の書物"Map of Coastal Mountains and Sands (Yan Hai Shan Sha Tu)"でも、防衛すべき領域?(Coastal defence)としてDiaoyu Islandsが中国の領土に含まれている。中国が管理していた証拠だ。
- 以下の書物でも、Diaoyu Isletは台湾の一部だって書いてある。
- 1556年に日本に留学?(study trip)してた中国人が書いた書物
- 1871年の福建の記録
2. 日本のDiaoyu Islands占拠は不法で無効である。
以下1)2)3)の事実が、19世紀に日本が中国からDiaoyu Islandsを奪ったこと、1970年代の日本とアメリカのDiaoyu Islandsに関する合意は中国領土に対する侵害であることを示している。不法で無効であり、中国のDiaoyu Islandsの所有権を揺るがすものではない。
2-1) 日本は19世紀終り頃にDiaoyu Islandsへの侵略を始めた
日本は、中国がDiaoyu Islandsを支配している事をしっており、しかし中国を恐れたために占領をいったん中止した。根拠は以下。
2-2) 日本は、日清戦争をとおして不法にDiaoyu Islandsを奪った
Diaoyu Islandsは、台湾に付随して日清戦争における不平等条約である下関条約で日本に割譲された。
#メモ:日本の主張では、下関条約で割譲されたんじゃなくて、その前から領土だった。
- 1894年7月に日清戦争開始、1894年11月までに、日本は旅順を攻略し、清に事実上勝利していた。
- 総務相野村靖の外相陸奥宗光の手紙(12/27)には「いまや状況が変わったために、Diaoyu Islandsに境界標を置くことについて議論したい」という旨が書かれている。陸奥宗光も翌1/11の返信でこれを支持する旨を伝えている。
- 1/14、日本政府は秘密裏にDiaoyu Islandsを沖縄県の管理下におくことを決定した。
- しかし実際には、その時点で、日本政府は境界標も置いてなかったし、天皇が詔勅を発したわけでもなかった。
- 同年4/17、中国は日本に不平等条約である下関条約への調印を強いられ、Diaoyu Islandsを含む台湾を割譲した。
2-3) Diaoyu Islandsは、第二次世界大戦後、中国に返還された
1943年12月1日、中国・アメリカ・イギリスはカイロ宣言において、満州、台湾、澎湖島といった、日本が中国から奪った領土は、中華民国に返還される、旨が明記されている。
1945年7月、中国・アメリカ・イギリス・ソビエト(8月に調印)はポツダム宣言において、カイロ宣言が実行されること、および日本の領土は、本州、北海道、九州、四国および定められたminor islandsに限る、旨が記載されている。
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏。この時点で台湾とDiaoyu Islandsが中国に返還されたことになる。
2-4) 日米間のDiaoyu Islandsに関する合意は不法で無効だ。
Diaoyu Islandsが日本に属するという合意は、以下経緯により無効。アメリカも中立の立場である。
- 1951年9月8日、アメリカその他多数の国が、中国抜きで日本と平和条約を結んだ(サンフランシスコ条約)。これによると、北緯二十九度以南の南西諸島が、アメリカを唯一の施政権者とし、国際連合の信託統治下におかれることになっている。
- 1951年9月18日、周恩来は中国政府を代表し、中国抜きで調印されたサンフランシスコ条約は無効であると声明した。
- アメリカの統治下におかれる島にはDiaoyu Islandsが含まれないはずであるのに、1953年12月25日、アメリカの宣言した琉球諸島の領域には、正当な根拠もなく、Diaoyu Islandsが含まれていた。
- 1971年6月17日、日本とアメリカは沖縄返還条約を結び、これによると琉球諸島とDiaoyu Islandsを日本に返還するとある。中国政府はこれに強く反発、領土侵害であり、中国人はこれを受け入れないと声明した。
- これに対するアメリカの説明
- アメリカはあくまで、日本から預かった権利を返還したという立場。元々持っていなかったものを与えたわけではないし、そのような権利もない。
- Diaoyu Islandsどの国に属するかについては中立の立場であり、それは関係国間で解決すべき問題だ。
- このスタンスは現在も変わっていない。
3. 中国はDiaoyu Islandsの領有権を守ることについて、強いスタンスをとってきた。
1978年の日中平和友好条約において、Diaoyu Islandsの問題解決は先送りすることで合意した。
日本政府は1970年台の終わりから、この合意に違反し、Diaoyu Islandsに上陸したり灯台を建てるという右派の行為などを黙認しはじめた。
近年、日本政府によるDiaoyu Islandsへの侵害は増している。たとえば以下。
中国は日本の侵害に対して反対し続けてきた。そのプレッシャーにより、日本政府は、右派のDiaoyu Islandsにおける行動を支持せず、彼らの上陸を禁止する旨を明らかにした。
また中国は、Diaoyu Islandsの統治を改めて確認する行動をとっている。これらの行動が、日本のDiaoyu Islands占領を阻止している。
- 1992年、法律でDiaoyu Islandsが領土であることを再確認。
- 2008年5月15日、日本が国連事務総長に提出した地図を無効であると申し立て。
- 2012年3月3日、Diaoyu Islandsの島々の正式名称を発表?(よくわかんない)
- 2012年9月10日、Diaoyu Islandsの領海について発表。
- この間、中国の漁業監視船や海洋監視船は定期的にDiaoyu Islandsの領海をパトロールし、Diaoyu Islandsを管理。
4. 日本のDiaoyu Islandsを欲するあらゆる試みは失敗に終わるだろう
(国有化は茶番だとか、両国間の関係を壊すものだ、とか煽り系の話であり、正当性の根拠とは無関係と思われる。省略。)
以上。
以下、2-4)がやばいと思った理由。
個人的に日本の外務省の主張で一番説得力があると思ったのは以下の部分なんだけど。
中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。
これって、中国側の立場だったら、2-4)の事実関係が本当なら、こうやって反論できるよね。
- いいえ、すぐに異議を唱えています。1951年9月18日、周恩来は中国政府を代表し、サンフランシスコ条約は無効であると声明しています。
- 1970年代まで大きな問題とならなかったのは、アメリカの信託統治下にあったからです。「日本に返却」という事になったため、到底受け入れがたいという事になりました。石油は関係ありません。
どうなんだろう。疲れたから明日また考えよう。